へっへっへっへ。 皆さん、こんにちは。
ゴマすり、へつらい笑いのカツ丼小僧でございます。(笑)
今回は、一つ、軽くではありますが、よく、世間で問われることもある、
「笑い」というものに焦点を当てて、このブログに自分なりの見解を示して行きたいと思います。
まぁ、昔から、人は何故笑うのかだとか、笑いとは何か? などという論議が持ち交わされ、
至る所で話題になるのですが、もちろん、そのようなものには、そう簡単に
解答など出よう筈もありません。
それは、人それぞれに「笑い」という物に対する感覚が違うからなのですが、
まったく同じ物を見ても、ある人からすれば、もの凄く可笑しい事であっても、
他の人からすれば、まったく可笑しくないこともあります。
箸が転げても笑い出す年頃の、朗らかなお嬢さんもいれば、
僕のように、箸が転げても怒り出す、といった得体のしれない親父もいる……。(笑)
でも、まぁ、一般的に見れば、(僕のような、ちょっと気難しい、しかめっ面親父を除けば、)
よく、テレビの漫才コンクールなどを客席で見ている人達がドッと笑う所というのは、
かなり共通部分も多いので、「笑い」に対する幾らかの分析も可能なのではないかと思います。
漫画家の、故・石ノ森章太郎さんも、著書「まんが研究会」のなかで、
「笑い」について幾らか語っていますが、
「笑い」には、「間」が必要だという事です。まぁ、「間」というのは、笑いに限らず、
全ての事象に欠かせない物だと思いますが、笑いには特に必要不可欠な物です。
そう、言い換えれば、タイミングです。
目の前で人が道を歩いていて、いきなり無様な格好で転べば、
見ている側は、その意外性に驚いて笑います。
まぁ、これが、ベルグソン(フランスの哲学者)のいう、「緊張」と「弛緩」です。
(古くてすいません。ベルグソンの「笑い」は、僕が大学時代に読んだ本です。)
ですから、見ている側だって、幾らかはヒネた性格でなければダメで、
真面目な人程、笑いは少ないのです。
「ヒネている」という言葉が悪ければ、「優越性を持った人」と、置き換えてもらっても構いません。
もちろん、こんな物は、「笑いの真相」のごく一部にしか過ぎません。
これから暫くの間、皆さんと、「笑い」という物について、一緒に色々と考えて行こうと思うんですが。
(といっても、僕の方からの一方的な、おしゃべりに過ぎませんがね……。)(笑)