何故、自分は、ここまで多大なコンプレックスを神に植え付けられる羽目になったのか?
それは、恐らく、自分で神に対して、そうしてくれ、と望んだからではないかと思います。
前にも述べましたが、僕の場合、コンプレックスが増えれば増えるほど、
喜び事も、それに比例するかのように、どんどんどんどん増えていくのです。
いや、これはね、もちろん僕だけではなく、恐らく皆さんもそうなのではないかと思いますよ。
ただ、それに、あまり気づいていないというだけで………。
僕、最近、やたらと屁が出るんですよ。プリプリ変な音立てて、………。(笑)
ホント、やんなっちゃいますよ。恥ずかしいったら、ありゃしません。(いや、こんな僕でもね。)
でも、こういった些細な物までもが、みんな神の仕組んだ「良き罠」だと思うんです。
僕は、色々考えた末、その罠に気付きましたが、
まだ、そこの所に気付いておられない方も、幾らか、おられるのではないかと思います。(笑)
劣等感を植え付けられれば、植え付けられるほど、周りの人間(物)が、
神々しく、光輝いて見えてくるのです。 これは本当に素晴らしい事です。
問題なのは、どんなに辛い事があっても、そこで一歩踏み留まって、客観的に冷静になって、
神の真意を、組み留めなければならない事です。
劣等感に押し潰されてしまってはいけません。
ライン上で、なんとか踏み留まって、
その劣等感を、自分の喜び、楽しみに変えてしま事が重要なのです。