こんにちは。「カツカツ生活カツ丼小僧」から、そろそろ脱却しそうなカツ丼小僧です。(笑)
いつも僕のホームページを見てくださり、誠にありがとうございます。
感謝、感謝の、行ったり来たりでございまちゅ~~~っ ! ! (笑)
今回は、自分の下に、どうやったら、お金が舞い込んでくるのか、という、
恐らく、誰もが知りたいのではないか、と思われる、そのカラクリについて、
僕なりの、考えをここに記しておきたいと思います。
以前、ミステリアス・ゾーンのコーナーで、「愛した物に愛される」、と書きました。
ですから、お金が好きな人でなければなりません。
毎日、寝ても覚めても、年柄年中、お金の事ばかり、頭になければなりません。
そして、そういう人は、まず間違いなく、前世でも、お金が好きだった筈ですし、
お金に囲まれて、(最終的には、散財、または、うまく使い果たして、)一生を終わった筈です。
まぁ~、そうですね~、一口にお金が入ると言いましても、様々なパターンがあると思います。
うまく宝くじに当たって、大金が転がり込んで来たとしても、
あっという間に、出て行っちゃう場合もあるじゃないですか。
いや、それどころか、それが元で、殺されちゃったりだとか……。
こういう場合はねぇ、やはり、何かの運命の綾で、一時的に、お金が入ってきたに過ぎないんですよ。
そこがね、何か、この世のカラクリをわかりにくくしているんですよ。
そういう人はね、実は、本当に、お金が好きだったわけではないんです。
極論的に言えば、まず、若い内に入ってきた、もしくは、最初から持っていた大金というのは、
人生半ばで、全て失ってしまう可能性大です。(バクチ、事業の失敗、他人に騙されて、等。)
それどころか、今までの反動として、逆に大きな借金を背負う事にもなりかねません。
やはり、本当に、お金が、しっかりした形で大きく入ってくるのは、晩年になってからです。
長い事、考え続けた結果、必然の帰結として、そうなったのです。
でも、先にも申し上げました通り、この世の真実をわかりにくくしている、
幾らかの例外、という物もあります。(いや、もしかすると、この例外の方が多いかもしれない。)
例えば、30代あたりで億万長者、大富豪になって、若者でありながら、人も羨むリッチな生活をし、
その時点では、その方は、常人から見ると、あり得ないような、
大幸運児、ラッキーボーイに見えたかもしれない。
でも、実は、その人は、そこがまさに人生のピークで、40歳ぐらいの短命だった、
ということもあります。
お金持ちでいられる期間というのも、頭で考えたことの総量と同じ、という事ですから、
考えている期間が短く、しかも、本人が、若い時のリッチな自分の姿しか想像していなければ、
30代ぐらいで、勇ましく咲き誇って、また、勇ましく散る、という事にもなるのです。
ただ、僕は死ぬ事自体は、別に悪い事でもなんでもない、という、考えがありますので、
このような人生も、またしかり、短命であっても、素晴らしき哉、短命豪華人生です。
あと、もう一つのパターンとして、相当な、お金持ちであったにも関わらず、
自分の財産を、殆ど使わずに死んでしまった場合です。
そういう方も、実は本来、お金にあまり、執着や関心がなかったタイプと言えます。
僕の尊敬する、漫画家の石ノ森章太郎先生が、そのいい例です。
多大な財産を所有していましたが、先生の生涯は、ほぼ、一日中、机の前に座って、
漫画を描き続ける事だけでした。
実際、漫画の原稿料、テレビ放映権、キャラクターグッズ商品権、等、莫大な収入を得ていた筈です。
それらのお金を、自分では、ほぼ、使わないまま、亡くなられていったのです。
ある時、漫画家達の集まりの座談会の中で、石ノ森先生が、
「一千万貸して、返ってこなかった事がある。」、と、言っているのを、雑誌で読んだ時に、
何か、こう、身震いした思いがあるんですよ。
僕なんか、五千円でも、貸した金が返ってこなかったら、根に持つってタイプですよ。
こういうことを、平然と当たり前のように、サラリと言ってしまうんですからね。(笑)
やはり、先生は、漫画を描く事以外、何も頭になかったんだと思いますよ……。
あっ、随分、長くなりました。 この続きは次回に回します。