皆さん、こんにちは。 つむじ曲がり、へそ曲がり、はな曲りのカツ丼小僧でございます。
今回で、一旦、このコーナーは、終了ということにして、
最後に一言、今までの、総まとめ、締めくくりとして、言いたいことを言わせて頂きます。(笑)
今から、137億年前に、宇宙が膨張し、爆発して、また新たな宇宙が生まれたという、
ビッグバン説も、「科学」ということでしたら、僕が、今まで、このブログに書き連ねた事もまた、
「科学」と言えるのではないでしょうか?
一体、何を持って、科学と称し、何をコケにして、絵空事というのか、僕には理解できません。
現代高度科学文明を、何のわだかまりもなく受け入れ、それが全て正しいと、信じて疑わない、
有識者、見識者の皆さん、まず、僕のいう事に、一度でいいから、耳を傾けてみてください。
僕が、今、ここに書いた事は、大宇宙の神秘のほんの一片鱗だに過ぎません。
人が小石に、けつまづいて転倒する、という他愛もない事象にも、何らかの因果がある、
と考える僕にとり、大宇宙神秘の前には、科学という学問は、力なく、ひれ伏すだけです。
神秘と科学、この二つの何処がどう違うというのでしょうか?
光の速さより、高速度な物がこの世に絶対にないなどと 、誰が言い切る事ができるのでしょうか?
我々人間は、アリのような、ごく小さな生物を、せせら笑い、バカにしますが、
人間は、その、ちっぽけな、取るに足らない生物を、作り上げる事は出来ないのです。
まず、自身の思い上がった心を捨て、謙虚に虚心坦懐な視線から、世の中を観察していかねばなりません。
本来は市民のお手本ともなるべく警察官が、勤務時間中に雪見麻雀をしていたり、
はたまた、集団セクハラを犯すなどという、奇想天外な時代だからこそ、
世の中を、もっと冷徹に、客観的に見ていく姿勢が、今、我々に問われているのです。
目に見えない、ことわざとか格言の中にこそ、この世の真理をが隠されているのです。
現代高度科学などよりも、「犬も歩けば棒にあたる」ということわざのほうが、
余程、物事の核心をついている場合だってあります。
ケツ穴から、ウンコが飛び爆ぜ散ることと、宇宙のビッグバンとに、
如何ほどの違いがありましょうか?
2013、1,18
カツ丼小僧