今回は、人間の姓名の話。
皆さんの中で、姓名判断を趣味としている方はおられますか?
もし、やっておられる方は、恐らく、大概の方は、画数算出法の姓名判断だと思われます。
例えば、10画は凶だとか、24画は吉だとか、44画は大凶とか、………。
でも、僕の経験上、そのような物だけで、たやすく名前を変えてしまうのは、あまりお勧めできません。
いや、それどころか、非常に危険です。
僕も、ちょうど、高校の終わりぐらいからでしょうか、
漫画家になるため、ペンネームを使おうと思って、名前を勝手に変えて、
その名前を強く意識し始めた頃から、自分に不幸が巻き起こり、荒れ狂い始めたのです。
(「サイトマップ」の「ボクの疾風怒濤時代」をご覧ください。ちょうど、その頃です。)
孔子も言っています。
「まず、名を正せ。名を正さざるは、乱の本(もと)なり。」と………。
名前というのは、ただ単に、飾り物のように、自分に付いているわけではないのです。
その言葉のもつ意味、雰囲気や、音、姓と名の組合わせ、文字の形、そういったものが
すべて、一体となって、一つの大きな世界が構築されているのです。
いや、人間の名前だけではありません。
「SONY」、「富士通」、「三井住友」、「そごう」、「石丸電気」、などの会社名、
「ちびまる子ちゃん」、「人間失格」、「相棒」、「ウルトラマン」、などのタイトル、作品名、
また、日常身近に存在している、「座布団」だとか、「茶碗」、「ブランコ」、「ビリヤード」、
などといった言葉にも、それぞれ、文字の形や音によって、一つの(固有の)世界が構築されています。
また、同じ「ZABUTON」でも、漢字の「座布団」と平仮名の「ざぶとん」では、
まったく、その世界を構成している要素が違うので、内容も、まったく異なる物となるのです。
細かい(深い)事を言い出すと、恐らく、読んでいる方の頭の中が混乱して、イライラしてくると思いますので、このあたりにしておきます。
(僕が、そうですので、そのイラつきが、よくわかるのです。)
ただ、最後に、わかりやすい事を一つだけ、言わせてください。
例えば、漫画のタイトル名を、「座布団の街」とした場合と、「ざぶとんの街」とした場合とでは、
描き手の創作意図や意志に関わらず、その内容や、画風までもが、かなり、違った物に
なってしまうのです。
まず、文字ありき、言葉ありき、なのです。