カツ丼小僧のミステリアス・ゾーン 14

今回は、人間の姓名の話。

 

皆さんの中で、姓名判断を趣味としている方はおられますか?

 

もし、やっておられる方は、恐らく、大概の方は、画数算出法の姓名判断だと思われます。

 

例えば、10画は凶だとか、24画は吉だとか、44画は大凶とか、………。

 

でも、僕の経験上、そのような物だけで、たやすく名前を変えてしまうのは、あまりお勧めできません。

いや、それどころか、非常に危険です。

 

僕も、ちょうど、高校の終わりぐらいからでしょうか、

漫画家になるため、ペンネームを使おうと思って、名前を勝手に変えて、

その名前を強く意識し始めた頃から、自分に不幸が巻き起こり、荒れ狂い始めたのです。

(「サイトマップ」の「ボクの疾風怒濤時代」をご覧ください。ちょうど、その頃です。)

 

孔子も言っています。

 

「まず、名を正せ。名を正さざるは、乱の本(もと)なり。」と………。

 

名前というのは、ただ単に、飾り物のように、自分に付いているわけではないのです。

 

その言葉のもつ意味、雰囲気や、音、姓と名の組合わせ、文字の形、そういったものが

すべて、一体となって、一つの大きな世界が構築されているのです。

 

いや、人間の名前だけではありません。

 

「SONY」、「富士通」、「三井住友」、「そごう」、「石丸電気」、などの会社名、

 

「ちびまる子ちゃん」、「人間失格」、「相棒」、「ウルトラマン」、などのタイトル、作品名、

 

また、日常身近に存在している、「座布団」だとか、「茶碗」、「ブランコ」、「ビリヤード」、

などといった言葉にも、それぞれ、文字の形や音によって、一つの(固有の)世界が構築されています。

 

また、同じ「ZABUTON」でも、漢字の「座布団」と平仮名の「ざぶとん」では、

まったく、その世界を構成している要素が違うので、内容も、まったく異なる物となるのです。

 

細かい(深い)事を言い出すと、恐らく、読んでいる方の頭の中が混乱して、イライラしてくると思いますので、このあたりにしておきます。

(僕が、そうですので、そのイラつきが、よくわかるのです。)

 

ただ、最後に、わかりやすい事を一つだけ、言わせてください。

 

例えば、漫画のタイトル名を、「座布団の街」とした場合と、「ざぶとんの街」とした場合とでは、

描き手の創作意図や意志に関わらず、その内容や、画風までもが、かなり、違った物に

なってしまうのです。

 

まず、文字ありき、言葉ありき、なのです。

 

 

 

 

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