ふほほほほ。やけに機嫌のいい、カツ丼小僧でございます。
たった今、久方ぶりに、松坂慶子さんの映画、「上海バンスキング」(1984年公開)
のDVDを観たからです。
戦時中、ジャズに情熱を燃やした男と女の物語で、「バンスキング」とは、「借金王」の事です。
このような陽気で賑やかなミュージカル映画は、見る側の心を、開放的に明るくしてくれますね。
深作欣二監督、万歳!! 松坂慶子、万歳! ! ミュージカル万歳! !
では、本題。
今回は、人間の容姿と性格の関連性について………。
人間の容姿や体格というものは、基本的には、その人間の性格や人柄をそのまま端的に現しています。
ただ、それを見る際にあたって、あまり、単純であってはなりません。
例えば、美人だから、心が綺麗だ、とか、顔が醜いから、心が汚いだとかいうものです。
また、人間の容姿や体格といったものは、時々刻々、少しづつですが、変化していきます。
そして、性格も、外観とお互いに符合しあいながら、一緒に、同時進行的に変化していくのです。
性格と外観は、二つで一つ、セットになっているもので、切り離して論じる事はできません。
外観は良いけど、性格は悪いなどという、曖昧で、いい加減な、性格判断は僕にとっては、論外です。
人相学などという物を、わざわざ持ち出すまでもなく、一見、その人間をパッと見て感じる、
第一印象というものがありますね。
まぁ、霊感の強い(優れた)人ならば、大方、それで判断できる事もありますが、
普通の一般人では、案外それは難しい時もあります。
とにかく、人間の性格なんて、複雑怪奇、その時の気分や、状況によって、千変万化するものですから、
この方は、これこれ、こういう性格だなどという単純な決めつけは、到底無理です。
また、他人との相性というものがあって、それによっても、変わってきます。
ある人に対しては、優しくいい人間であっても、ある人には、冷たく厳しい人間と写っている事も
あります。
ただ、漫画的に、簡潔に言うならば、陽気で穏やかな性格の人は、ややふっくらとした感じで、
顔も大福餅のようで、恵比須顔をしているだとか、闘志に満ち溢れた性格なら、ややがっしりした
闘士型の体格をして、顔も角ばって、眼光が鋭く人を差すようであるだとか、やはり、なにか、外観と性格のそれらしき符合というものを、見て取る事が出来るのではないでしょうか?
そうでないと、特に「漫画」などという単純明快な芸術分野は成立しませんよ。
人相学の本などを読みますと、三白眼の人は野心家で腹黒いだとか、鼻の穴の大きな人は金遣いが荒いだとか、また、眉毛の太い人は性格が、穏やかで、鷹揚であり、眉毛の薄い人は短気で怒りっぽいとか、という観相の仕方もありますが、こういうものは、専門的で、難しく、やや迷信的のようにも思われます。
外観という物は、その人間の性格を、そのまま現している物に相違ありませんが、
その細かな関連に至っては、神様でもなければ到底知る由もありません。
また、人間は、年を重ねる内に、皮膚がたるみ、顔や体に、多くのシミやシワ、痣などができますが、このようなものも、その人間の心の老化、そのものが、一つの現象として身体に刻まれたものであるというのが僕の考えです。
もう、かなりの高齢であるにも関わらず、体にシミやシワ、皮膚のたるみなど、殆どなく、
壮健で若者をもしのぐ程の美しい均整のとれた体をしている人が、たまに見かけられますが、
ボク的に言いますと、そのような人は、性格だって、若者のようにみずみずしく、生き生きしています。
あと、整形などで、皮膚のたるみ等を失くし、顔の造作までをも若々しく変えてしまう人もいますが、
これも同じで、まず、先に、若々しい「心」ありきです。
それにつられて、整形手術という行為があったのです。
つまり、今までの老顔、醜い顔が、その人間の、若々しく、美しい「心」に
対応しきれなくなったためです。
冒頭に、心(性格)と体は同時進行だと言いました。
(厳密に言えば、心と性格は違います。まったく別の物ですが、その事については、いずれ述べます。)
ですから、整形してから、気持ちが若返ったとも言えますが、ニュアンスとしては、やはり、
「心」が先、とした方が、僕の考えが、より正確に伝わるのではないかと思います。
いや、そろそろ、長くなりました。
まだ書きたいことはありますが、ここで一区切り付けて、次回に回します。
※「上海バンスキング」のように、ミュージックや踊りがふんだんに盛り込まれた出演者の多い映画というのは、見る側の気持ちを多分に陽気にさせ、若返らせてくれます。ありがたいことです。
他の出演者(キャスト)は・・・
風間杜夫、平田満、夏木勲、志穂美悦子、宇崎竜童さん等です。