前回の続きです。(いや、ホント、書きたい事を思いっきり書いて、多くの人達に読んで
もらえるって、本当に嬉しい事ですね。皆さん、ありがとうございます。)
もし、人間の意志や感情が、自分の物ではなく、何者かによって、リモート・コントロールされて
いるのだとすれば、それに伴って起こる「行動」もまた、同じ事が言えます。
例えば、あなたがりんごジュースを飲みたいと思って冷蔵庫に向かったとすれば、
冷蔵庫に向かうという行動も、リモート・コントロールされているのです。
つまり、冷蔵庫に向かうという行動の方が先にあって、そのために、あなたの頭の中に
りんごジュースが飲みたいという感情が湧き起こったのです。
もっと言えば、りんごジュースを飲みたいという感情が起こったのは、その少し前に起こった、
喉が渇いた、だとか、おいしいりんごジュースの味が頭に思い浮かんだからです。
だから、りんごジュースが飲みたくなったのです。
つまり、僕の言いたいのは、時間は、現在から未来に向かって「進んでいる」のではない。
もう、出来上がった未来に向かって、現在の自分が、「引っ張られている」んだ、という事です。
イングランドの哲学者でもあり、数学者のアイザック・ニュートンは、木から、りんごが落ちるのを見て、
「 りんごは、木から、地面に向かって、「落ちている」のではない。地球の内側から引力によって、
「引っ張られている」んだ。」ということを発見しましたが、(万有引力の法則)←逸話の可能性も。
僕は、その「時間版」です。
まぁ、もちろん、このような事は、以前から考えていた人はいくらでもいると思います。
ただ、今現在において、このような考えというのは、まったくバカげた事とされています。
というよりも、誰も考えもしませんし、話題にもなりません。
でも、よくよく考えてもみれば、恐ろしいことですよ。
なぜって、この考えがもし、真実だとすれば、もう、僕やあなたの未来は、がんじがらめに決まっていて、
選択の余地は一切残されていない、ということになるわけです。
つまり、生まれた時から、人生の立体映画のフィルムが、あらかじめセットされていて、
その出来上がったものを、ただ、なぞっているだけ、という事になるからです。
例えば、一本のローカル電車の窓際の座席にあなたが座っていて、ある駅から、
次の駅まで、乗り継いだとしましょう。
電車がゴトゴト揺れながら走行している最中、あなたは外の景色を眺めています。
緑の山や谷、のどかな田園風景などが見られます。
でも、その風景は何度乗ってみても、また同じものです。絶対に変わる事はありません。
もし、次に生まれ変わっても、また、まったく同じ人生の繰り返し、という思いすら………。