カツ丼小僧のミステリアス・ゾーン 3

前回の続きです。(いや、ホント、書きたい事を思いっきり書いて、多くの人達に読んで

もらえるって、本当に嬉しい事ですね。皆さん、ありがとうございます。)

 

 

もし、人間の意志や感情が、自分の物ではなく、何者かによって、リモート・コントロールされて

いるのだとすれば、それに伴って起こる「行動」もまた、同じ事が言えます。

 

例えば、あなたがりんごジュースを飲みたいと思って冷蔵庫に向かったとすれば、

冷蔵庫に向かうという行動も、リモート・コントロールされているのです。

 

つまり、冷蔵庫に向かうという行動の方が先にあって、そのために、あなたの頭の中に

りんごジュースが飲みたいという感情が湧き起こったのです。

 

もっと言えば、りんごジュースを飲みたいという感情が起こったのは、その少し前に起こった、

喉が渇いた、だとか、おいしいりんごジュースの味が頭に思い浮かんだからです。

 

だから、りんごジュースが飲みたくなったのです。

 

つまり、僕の言いたいのは、時間は、現在から未来に向かって「進んでいる」のではない。

 

もう、出来上がった未来に向かって、現在の自分が、「引っ張られている」んだ、という事です。

 

イングランドの哲学者でもあり、数学者のアイザック・ニュートンは、木から、りんごが落ちるのを見て、

 

「 りんごは、木から、地面に向かって、「落ちている」のではない。地球の内側から引力によって、

「引っ張られている」んだ。」ということを発見しましたが、(万有引力の法則)←逸話の可能性も。

僕は、その「時間版」です。

 

まぁ、もちろん、このような事は、以前から考えていた人はいくらでもいると思います。

 

ただ、今現在において、このような考えというのは、まったくバカげた事とされています。

 

というよりも、誰も考えもしませんし、話題にもなりません。

 

でも、よくよく考えてもみれば、恐ろしいことですよ。

 

なぜって、この考えがもし、真実だとすれば、もう、僕やあなたの未来は、がんじがらめに決まっていて、

選択の余地は一切残されていない、ということになるわけです。

 

つまり、生まれた時から、人生の立体映画のフィルムが、あらかじめセットされていて、

その出来上がったものを、ただ、なぞっているだけ、という事になるからです。

 

例えば、一本のローカル電車の窓際の座席にあなたが座っていて、ある駅から、

次の駅まで、乗り継いだとしましょう。

 

電車がゴトゴト揺れながら走行している最中、あなたは外の景色を眺めています。

 

緑の山や谷、のどかな田園風景などが見られます。

 

でも、その風景は何度乗ってみても、また同じものです。絶対に変わる事はありません。

 

もし、次に生まれ変わっても、また、まったく同じ人生の繰り返し、という思いすら………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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