大学受験に失敗し、浪人時代に突入ですか。
正直、辛い話はしたくないし、できれば避けて通りたい………。
でも、いい所(?)ばかり書いていて、悪い所は飛ばすというのも、なにか卑怯な感じもするし、
それに、自分の負の部分も知っておいてもらいたいというのもありますし………。
え? いや、その、僕は負の部分だけですが………。(笑)
とにかく、浪人の一年間と大学時代の二年間は、怒り狂って、常に頭に血が上っている状態でした。
(大学は、一応、籍だけは、4年間置いてあったのですが、実際、通っていたのは、2年間だけです。)
あ、……今、一瞬、屁が出ました。 ちょっと、リラックスして書けそうです。(笑)
とにかく、今、思い起こしても、怒りが湧き起こってきそうで、少し冷静になって書かなければ、
このブログやページがメチャクチャになってしまいます。
当時、それくらいひどい怒りの中にいて、頭中の血管が全てブチ切れてしまいそうな感じだったのです。
特に、母親に対する憎しみが強烈で、もし法律がなかったら、殺してしまっていたかもしれません。いや、間違いなく殺していました。
(しかし、法律って、なんなんでしょうねぇ。暴力をふるったら罰せられるなんて、
こんなものは女を守るためにあるような法律で、男からしてみれば、はなはだ損な法律です。
何故って、男というのは最初から、つまり生まれた時から、女と比べると、遥かに暴力的にできているからです。ですから、押さえているのが大変なんです。公平性を欠いてますね。法改正を望みます。)(マジ)
当時、(1980年11月)一柳展也(いちりゅうのぶや)という浪人生が両親を金属バットで滅多打ちにして殺してしまうという事件が起こりました。両親が一柳展也に対して、「お前はダメな子」というようなことを言ったからですが、僕も当時は、もう少しでああなる所でした。(本当に紙一重です。)
いえね、こんなこと言われたくらいで、と言いますが、そう、単純じゃないと思いますよ。
人間の心の中っていうのは………。その時の状況とかもありますし。
ただ僕の場合、絶対に、必然として、そのような悲劇は起こらなかったのです。
つまり、自分にはその時から、なにか漠然とはしていたんですが、自分に対する
素晴らしい未来が見えていて、(今、やっと来ました。)人を殺すようなつまらんことで、
自分の輝かしい未来を失いたくなかったからです。
でもまぁ、さすがに38歳の時には、もう耐えきれなくなって、どうやって死のうかという事ばかり考えていた時期もありましたがね。(僕は臆病者ですから、怖くて自殺ができないんです。)
39歳の、平成15年の4月に初めて、自分のイラストが「マニア倶楽部」という雑誌に掲載された時は
なんとか息を吹き返したような気分になりました。
そして今年10月、48歳ですが、ネットのWEBスナイパーに、自分のホームページが
紹介され、アクセス数がぐんと上がった時には、今までの苦悩の全てが吹き飛んだかのような、
「俺、48年間の人生の中で、こんなに楽になったの初めてだよ。」という気分になりました。
ですから、僕はWEBスナイパーの編集部の皆さんや、井上文さんには、もう一生頭があがりません。
だって、もし、このホームページをあそこで紹介してもらえなかったら、
僕の人生は未だに茨(イバラ)だったのですから………。
まぁ、人間の人生なんて、ある意味、死ぬまでイバラでしょうがね………。(笑)
※今回は、話が少し脱線し、前書きのような感じになってしまいました。
次回からは「ボクの疾風怒濤時代」を本格的にスタートします。